人面魚と遭遇した暑い一日。
午前中は某大学のキャンパスで福祉工学のあれこれを見学し、
つか、単にオープンキャンパスに参加してる父兄みたいやん。(笑)
難関大学なのですが、こんな山の中にあって、さぞかし勉学に集中できることでしょう。
つか、暑い!とっとと大学を後にして涼みに行きましょう!
と不謹慎なことを思うのは多分私くらい。(笑)
お昼は移動して、田舎の会席料理を堪能したんですが、写真写そうとすると
みんながいちいち不思議そうに反応するのでカメラを置き、ひたすら飲み食べ。
飲兵衛の私ではありますが、昼間のお酒は苦手だったりします。不思議ね~
午後からは滋賀県神崎郡五個荘町にある近江商人屋敷を廻る旅へ。
バスの中で社会科の先生がひとつ問題。
「沖縄は何を使ってダシをとるかご存知ですか?」
豚!!などという奇怪な答えがとびだします。
答えは昆布。沖縄には昆布はありませんが、沖縄は昆布の消費日本一です。
その昔、北海道の昆布を近江商人が運び沖縄の黒砂糖と交換したわけです。
これが流通の始まりなわけですね。
(中国から渡ったという説もありますが、先生・・)
沖縄はかつお節だって使いますよね。(笑)
五個荘町は、滋賀県の湖東平野の中部に位置し、古くから中山道の要衝として栄えたところです。町内各地に往時を偲ばせる古墳や神社仏閣の宝物、仏像、伝承文化などが数多くのこり、また古代地籍を示す条里制の跡も保存され、先人の築いた豊かな歴史の流れが文化遺産の中に息づいています。(と、書いてある・・) ←昔の近江商人スタイル。
私はよく滋賀県に行く機会があるですが、こういう赤色を施した塀が多く見られます。
「鯉通り」と呼ばれ、塀に沿って立派な錦鯉が泳いでいます。
この光景は確か鹿児島でも見かけたような。
これが延々と続き、近江商人屋敷に入ると池があり、この堀と続いていて
通りの鯉は屋敷の池にも辿り着くという面白いものです。
ボランティアのガイドさんが叫ぶ。
「みなさーーーん!これが人面魚です!」
「どこが?・・・」 けっこう皆冷ややかな反応だけど、こうして画像にすると
見えないことはない。ブームが去っちゃったからね・・・(笑)
ここは近江商人であった「外村繁邸」。
画像の狸は守護狸といい、目がくりぬいてあるのは商人として
目の奥の方から物事を見極めるためだそうです。
外村繁といえば、「澪標(みをつくし)」が有名ですね。
この方は生家が豪商だったんですね。初めて知りました。
この屋敷には外村繁文学館も併設されています。
外村繁は東大の出身でもあります。
去年、臼杵の町を旅しましたが、かの「野上彌榮子」も小手川酒造が生家。
(秀吉と利休、海神丸などの著者)
その生家にも「野上彌榮子記念館」があり、その生い立ちや
勤勉な様に期せずして同じものを感じました。
臼杵の人は町づくりが上手で、その石畳の通りを歩くだけで心が休まりますが
この五個荘町の通りも綺麗に整備され、俄か旅人は一瞬暑さも忘れたほどです。
この天井のハリは日本一大きいのだそうです。
どんな地震にもビクともしない。豪商の一端が伺えますね。
畳も今に換算すると1枚50万円はするという丁寧な誂い。
「女中に主人や自分の下着を洗ってもらわないという節度の大切さ。」
これって現代にも通じますよね。
野上彌榮子も法政大学学長である夫君にも朝から総出でハタキをかけさせたという。
野上家では自分の靴は自分で磨くという不文律も。(もちろん女中さんいました。)
これは特別としても、案外と常識の育ってない輩のなんと多いことか。
女子社員にお茶を入れてもらったとしても、自分の湯のみくらいは自分で洗いなさい。
そのほうが男としてかっこいい。うちの主人はどうしてるかな?(笑)
7時に家に辿り着き、お土産のイカの沖漬けで超簡単夕食を済ませたHAL家でした。
いつ寝たのかも記憶にないくらい爆睡。足もパンパン。体力ないわねぇ・・・